「霞ヶ関→霞が関」の町名変更について簡単に推測してみる。

町名「霞が関」は昭和42年4月の住居表示実施をきっかけに「霞ヶ関」から変更されたのではないでしょうか。手近にあるツールを使って情報を集めてみました。

事実の確認

世の中で出ている地図の類で、町名の注記は「霞が関」となっていることを確認しました。一方で、東京メトロの駅名は「霞ケ関」となっています。よく言われているように、駅名付与時点での町名がこのようであったのではないでしょうか。

町名変更の機会

千代田区総合ホームページの「千代田区における住居表示の実施」には、昭和42.4に霞が関一〜三丁目について住居表示が実施されたとされています(http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00086/d0008661.html)。町名(地方自治法における町又は字の名称)の変更には議会の議決が必要であり、町名の変更が行われることは頻繁ではないことを考えると、「霞ヶ関」から「霞が関」への町名変更のタイミングは、ここであったと推測されます。

過去の記述の確認

「東京時層地図」で旧版地図を確認したところ、次のような記述になっているように見えました。

  1. 文明開花期 関ケ霞
  2. 明治のおわり 關ヶ霞
  3. 関東地震直前 關ヶ霞
  4. 昭和戦前期 關ヶ霞
  5. 高度成長前夜 霞ヶ関

昭和42年以前と思われる地図での居住地名注記では、予想通りヶが使われていたことが確認できました。

なお、文明開花期を除けば、ヶは非常に小さく、漢文の送りがな並みに小さく書かれています。また、関か關かという問題もありました。

地下鉄駅開設時点では、ケ。

Wikpedia 情報によると、霞ケ関駅の開設年月日は 1958年(昭和33年)10月15日 であって( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9E%E3%82%B1%E9%96%A2%E9%A7%85_%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%29 )、住居表示を行った昭和42年以前ですから、地下鉄駅開設当時の町名は「霞ヶ関」であったと言えると思います。

細かなところ1:助字のヶなのか、それとも大きなケなのか。

東京メトロの駅名は、少なくとも東京メトロのページでは「霞ケ関」とされているようです。*1つまり、非常にマニアックに峻別すれば、旧地名は霞ヶ関、現地名は霞が関、駅名は霞ケ関と整理されるべきところなのかもしれません。

細かなところ2(脱線):旧版地図では、「同二丁目」という表現が多用されている。

「東京時層地図」で見ることができる旧版地図には、「同二丁目」といった表現が多用されているようです。町が錯綜している場合には、どの町域の二丁目なのか分からないという問題はあるものの、注記スペースを稼ぐ工夫としては、過去にはこのようなものもあったのだなあと思いました。

感想

「が」「ケ」「ヶ」の違いは、土地土地固有のものであるというよりは、その地名記法が従う制度の原則に従うものであるというほうが正しいような気がします。一方で、どの原則に従って定まったかという歴史的経緯自体が、土地の個性として定着していくということはあると思います。

*1:Google Maps では、東京メトロと同じく霞ケ関Yahoo! 地図情報及びマピオンでは霞ヶ関とされています。