陸地測量師について(陸軍法令全集 明治22年勅令第34, 35, 36号)

hfu2007-10-25

旧陸軍参謀本部陸地測量部について興味があり、明治22年の勅令を3本口語訳してみました。

口語訳

朕、陸地測量官官制を裁可し、ここにこれを公布させる。

御名 御璽
明治22年3月14日
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
陸軍大臣 伯爵 大山巌

勅令第34号
陸地測量官官制
第1条 陸地測量の業務に従事させるため陸地測量官を置く。
第2条 陸地測量官は陸軍大臣の管轄に属し、その業務に関しては陸地測量部長の指揮監督をうける。
第3条 陸地測量官を分けて陸地測量師および陸地測量手とする。
第4条 陸地測量師は奏任とし、陸地測量手は判任とする。

陸軍法令全集. 第1号 - 国立国会図書館デジタルコレクション

朕、陸地測量官任用規則を裁可し、ここにこれを公布させる。

御名 御璽
明治22年3月14日
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
陸軍大臣 伯爵 大山巌

勅令第35号
陸地測量官任用規則
第1条 陸地測量師は陸地測量手のうちその任に適する者を選び、陸地測量部修技所で2年以上高等学科を修業させ、卒業した者を任命する。
第2条 陸地測量手は陸地測量部修技所の生徒を卒業した者を任命する。
第3条 本則により陸地測量官に任命された者が他の技術官に転任しようとするときは技術官任用の例規による。但し他の技術官より転任した者はこの限りではない。
第4条 本則第1条第2条に掲げるもののほか、技術官その他学術技芸優等の者にして陸地測量部で実地試業のうえ適当と認めるときは陸地測量官に転任させもしくは任用することができる。
第5条 本則施行の前に陸地測量部に出仕する技術官、陸軍軍属または傭員であって、陸地測量事業に従事し学術技芸優等である者は、陸地測量官に転任させもしくは任用することができる。

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朕、ここに陸地測量官官等俸給の件を裁可する。

御名 御璽
明治22年3月14日
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
陸軍大臣 伯爵 大山巌

勅令第36号
陸地測量官の官等俸給は明治19年勅令第38号技術官官等俸給令による。

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「測量師」について

測量士」ではない「測量師」といえば、カフカの「城」です。

城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

この小説に出てくる「測量師」という言い方が気になっていました。訳者の前田敬作は、陸地測量部時代のこの制度を参考にして翻訳したのかもしれません。前田敬作は1921年生まれ帝大独文科卒なので、そうであってもおかしくないと思います。また、小説の内容上、K は陸地測量手ではなくて陸地測量師でなければならないでしょう。

「奏任官」「判任官」について

なお、Wikipedia によると、奏任官は明治憲法下の高等官の一種で、高等官三等から八等に相当する職、武官であれば大佐から少尉までの士官のことのようです。また、判任官とは八等出仕以下を意味し、明治憲法下の下級官吏の等級、とのことです。

黒田清隆について

陸地測量部ができたときの首相は、薩摩の人、黒田清隆であったことがこれらの勅令から分かりました。
初代陸地測量部長である小菅智淵はもともと徳川海軍の幕臣であり、戊辰戦争で函館まで行っており、明治3年に恩赦されています。黒田清隆は、函館戦争での新政府軍の参謀であり、榎本武揚をはじめとする脱走軍上層部の助命に尽力した人です。明治3年と明治22年の間にはずいぶん間がありますが、この勅令を見て、少なくとも小菅智淵は黒田清隆のことを思い出したのではないでしょうか。
黒田清隆 - Wikipedia

大山巌について

薩摩の人です。普仏戦争を観戦し、1870年からジュネーヴに留学しています。フランス系社会に縁がある人になります。普仏戦争でフランスが敗北し、ドイツ帝国とパリコミューンが成立したところを見ているはずの人です。
一方、榎本武揚1862年からのオランダ留学で、普墺戦争シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)を観戦しています。この時期、8年の違いがとても大きいようです。